いつつのはなのえき
さびしそうなせんろがありました。ふるびたきかんしゃから、おきゃくさんがふたりおりました。「すくないなあ」とえきちょうさんは、きょうもさびしそう。
「せんろをはずして、みちにしたらいい。」まちのひとは、そんなことをいっているのでした。きょうはえきのたんじょうび。こどもたちが、なのはなをつんで、もってきました。「わあっ、ありがとう。はなっていいなあ。」
えきちょうさんは、いつものさびしさをわすれ、はっとしました。「そうだ。えきにもはなをさかせよう。」
いつつのはなのえき より (出版社:フレーベル館)
おはなしえほんベストセレクション2002年4月号
初版1974年4月
作者名:鶴見正夫/作・久保雅勇/絵
出版社名:フレーベル館
こんにちは、旅する絵本マニアです!
「絵本巡礼の旅」と称して日本各地の古本屋をめぐるのが趣味です。
今日も素敵な絵本を紹介したいと思います。
今回ご紹介する絵本は、「いつつのはなのえき」です。
1974年に初版が発行された古い絵本なのですが、私は初めてこの絵本を読み終わった時に感動して自然と涙があふれました。今までたくさんの絵本を読んできましたが、涙を流すほど感動した絵本は滅多になく、なかなか出会えることがありません。私にとってはいつまでも忘れたくない、心に残る絵本です。
寂しそうなのはなぜ?
“さびしそうなせんろがありました。”
という冒頭の言葉から始まります。
古びた機関車が客車と貨車を1両ずつ引いて山里を走る様子が描かれています。また、お話の最初の背景に描かれる山里の色は、曇り空の晩秋に見る枯れ木の山々を思わせるような、ものがなしい色です。
どうして”寂しそう”なんだろう…
自然は季節によって移り変わりますが、そんな山里の景色は昔から変わらないように思うんです。それに、村に元々人が少なかったのなら、それが普通なので寂しいとは思わないような気がするんです。
もしかすると、昔はもっと村にも人がいて、この鉄道を利用する人も今より多かったのではないか。かつて村で暮らしていた懐かしい顔ぶれの人々が、故郷を離れて町へ出ていってしまったのではないか。そんな風に感じました。
この絵本が発行されたのは1974年、高度経済成長で農村部から都市に仕事を求めて、たくさんの人が移り住んで行った時代背景も含まれているように感じます。
町の人たちは線路の利用客が少ないのを見て、”せんろをはずして みちにすればいい”と言っている背景から、
駅長さんはこの線路と同じように、自分たちも必要とされていないのではないか…
忘れられてしまうのではないか…
そんな風に感じていたのではないかと思いました。
お話では書かれていませんが、蒸気機関車の運転手さんや、車掌さんも同じように感じていたのではないでしょうか。
絵本の中で
”ちいさなえきでも、えきちょうさんはちゃんとひとりずついました”
という言葉があります。
この「ちゃんと」という言葉が少し気になりました。
田舎に行くと駅員さんがいない「無人駅」という存在もあると思います。
でも、この駅には「ちゃんと」駅長さんはいる。
人々が忘れかけていたとしても、「ちゃんと」駅を守っている人がいるということを気づかせてくれるような気がしました。
絵本で描かれている蒸気機関車
絵本の中ではC12とかC1212という形式番号がついた蒸気機関車が描かれています。
調べてみると、それは昭和7年から昭和22年に日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した、国鉄C12形蒸気機関車(過熱式のタンク式蒸気機関車)であることが分かりました。
昭和時代、農村部などの支線での使用を前提に、運転コストの低い軸重11トン以下となるよう設計された小型の蒸気機関車だそうです。
絵本では蒸気機関車の煙や車両の色あいを水彩でにじませた絶妙な色で描かれていて、とても良い味を出しています。また蒸気機関車の音を「がた しゅっぽ がた しゅっぽ」という何とも可愛らしい表現で表されています。
作者の鶴見正夫さんは大正15年(1926年)生まれで新潟県のご出身だそうです。きっと今では珍しい蒸気機関車が煙をはいて線路を走る様子を直にご覧になられていたのでしょうね。
ちなみに私の父は昭和30年(1955年)生まれで石川県で生まれ育ちましたが、子ども時代は地元の線路に蒸気機関車が走っていたそうです。
菜の花と駅長さんのひらめき
ある日、駅の誕生日(おそらく開業記念日)に駅長さんに地元の子どもたちが菜の花を摘んで持ってきます。「わあっ、ありがとう。はなっていいなあ。」といつもは寂しそうな駅長さんがばぁっと笑顔になります。
何より子どもたちの優しい心がとてもうれしかったのではないでしょうか。自分たちを優しく見つめてくれる存在がいることにも気づいたのかもしれません。
それと同時に花はこんなにも人の心をなぐさめてくれる、元気をくれるということに気づいたように感じました。
このことをきっかけに駅長さんは「花の駅にしてお客さんに喜んでもらおう」とひらめき、他の駅長さんたちに相談すると、みんな賛成してくれて、”いつつのはなのえき”を作ることになったのです。
町から一番近い「いりやまえき」ではたんぽぽ
二つ目の「やまくちえき」ではチューリップ
真ん中の「やまもとえき」ではアジサイ
終点の隣の「やまなかえき」ではヒマワリ
終点の「やまおくえき」ではダリア
駅名に全て「やま」とつくところが、おもしろいですね。
駅長さんはみんなどこか素朴で優しそうなおじさんばかり。子どもたちと一緒に花を植える様子からは駅長さんたちの鉄道に対する郷土愛、子どもたちとの純粋な優しさを感じ、どこかほっとします。そして花を通してつながりが生まれたように感じます。
駅長さんの気持ちがお客さんにも届き、たくさんの花が咲く駅に機関車がとまるたびにお客さんは大喜び。うわさは広まり、花や緑を求めて、たくさんの人が五つの花の駅を訪れるようになります。町には「ビルや工場が立ち並び、季節の花や緑がなかなか見れない。山の空気は美味しい。」と町の人々は自然の大切さに改めて気づかされるのでした。
そのうちに「ダリアえき」など、花の名前で駅の名前が呼ばれるようになり、駅の看板もいつの間にか花の名前に変わっています。”いつつのはなのえき “は賑わいを見せ、忙しい忙しいと駅長さんは何だかうれしそう。
駅長さんはさびしそうな線路だったところに、たくさんの笑顔の花が咲いてくれたことが何よりうれしかったのではないでしょうか。
一人の駅員さんの小さなひらめきと行動が、こんなに大きな力に変わるのですね。
人が山里に戻ってきて、みんなが喜ぶ場面でお話が終わるのだと思っていたのですが、この絵本の最後は、とても心に残る終わり方をしています。
お話の終わりに何とも言えない感動がある
なんねんか たちました。
やまのえきには、いつのまにか あきのはなも うえられていました。
でも、ごにんのえきちょうさんは もうだれひとり えきにはいません。
みんなとしをとって、つぎつぎに えきちょうをやめてしまったのです。はじめて はなをうえたときのおはなし。
いつつのはなのえき より (出版社:フレーベル館)
それはもう、どのおきゃくさんもしりませんでした。
最後を締めくくる、この言葉。
何とも言えない感情を抱きました。
最初の「さびしそうなせんろがありました。」という言葉を読んだ時よりも寂しい。
無常観というか、変わらないものはない、常ではない、刻々と変化していくはかなさ。
一気に懐かしい昔の話になってしまった時間の概念。
今は亡き人たちの想いをのせて、”いつつのはなのえき”だけはそこにあり続けているような気がします。
実際に昔は利用されていた線路も、時代と共に廃線になったり、閉鎖した駅も少なくありません。
今では誰も知らないけれど、確かにそこに色々な人の人生があった、暮らしがあった。
もう見ることができない、戻ることができないけれど、人々の心にはいつまでも懐かしい光景として残っている…そんなメッセージが込められているのではと感じました。
「それはもう、どのおきゃくさんもしりませんでした」
この絵本の一番心に残る言葉です。
作者の鶴見正夫さんは、絵本のあとがきにこんなメッセージを残されていました。
わたしの生まれた北国の小さな町から、上りの鈍行列車で1時間ほど離れたところに、少し大きな町がありました。その町の駅から、山奥の村へ行く線路がわかれていました。学生のころ、そこを通るたびに、なぜかわたしは、わかれて行く線路がさびしそうに見えてなりませんでした。
ときどき、大きな町の駅に、その線路を走る汽車がとまっているのを見かけました。客車と貨車を連結した、みじかい”おんぼろ列車”でした。まだ発車までにはそうとう時間がありそうなのに、いつも2、3人の客が乗りこんでいて、それがなおいっそう、さびしそうに見えるのでした。
「あれは赤字線。そのうちになくされて、バスになるんじゃないのかなぁ。」
そんな声も聞きました。わたしは、東京と郷里とを往き帰りするたびに、その線路の健在なのを見つけては、ほっと胸をなでおろしたりもしました。こうして、山奥行きの線路と”おんぼろ列車”は、とうとう、いつまでも脳裏から消えなくなってしまいました。
いつか、わたしは、この線路と列車を、こころのなかで、美しくかざってやりたくなりました。そして、6年ほど前に、「5人の駅長さん」という童話を書きました。この絵本は、その童話をもとに、あらためて構成したものです。
子どもたちの駅によせる優しさ。ひとりの駅長の美しい発想。5人の駅長の鉄道にたいする愛情と、積極的な行動ー花いっぱいの明るい絵本のなかから、それらのことをくみとってもらえたらとねがっています。
(キンダーおはなしえほん1974年4月号初出)
いつつのはなのえき 鶴見正夫 (出版社:フレーベル館)
まとめ
私は初めてこの絵本を読んだ時、自然と涙があふれました。
“儚さ”とはこういうことなのかなと感じます。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
「夏草や兵どもが夢の跡」
「国破れて山河あり」
意味は少し異なるかもしれませんが、こんなことわざを思い出しました。
人が生きる時間の儚さというか、無常観というか、そういうものを子どもにも大人にも教えてくれる、数少ない貴重な絵本だと私は思います。
いつまでも心に残る、いつまでも忘れたくない素晴らしい絵本です。